滋賀県大津市坂本町にある西教寺(さいきょうじ)には、明智光秀一族の墓と妻・熙子さんのお墓があるってご存じですか?
愛妻家だったと伝わる光秀は、当時は先に亡くなった妻のお葬式に主人は参列しないという風習があったのにもかかわらず、熙子さんのお葬式に参列したという記録が残っています。
この記事では、滋賀県西教寺の見どころと御朱印、明智一族と妻のお墓、アクセスと駐車場についてご紹介します。
比叡山の焼き討ちのあと、明智光秀が復興に尽力した西教寺で、光秀公の足跡をたどってみましょう。
西教寺の見どころは?
西教寺は、天台真盛宗の総本山。推古天皇の時代に聖徳太子が創建に関わったという古くからあるお寺で、日本の仏教史における重要な地位を築いてきました。
現在も天台宗の教えを基に、真盛宗はその特有の修行方法や教義を広める役割を果たしていて、多くの寺院や僧侶に影響を与えています。
西教寺の総門と本堂
坂本城の大手門を移築したと伝わる総門は、馬に乗ったまま通過できるように軒下が高く作られています。
総門からまっすぐ行くと勅使門があり、右に曲がると石階段(けやき坂)とスロープ(どちらでも行けます)があり、その先に大本坊があります。
16世紀前半の比叡山絵図に焼き討ち前の西教寺があり、「槻坂(けやき坂)」がはっきりと描かれています。もしかしたら光秀公が上り下りした階段、かもしれませんね。
大本坊には靴を脱いで、中に入ります。
西教寺は織田信長の比叡山焼き討ちで焼失した後、近江国の城主となった明智光秀の尽力によって復興、寺院の修繕や寺領の拡張が行われました。
焼き討ちの3年後には仮本堂が建てられ、江戸時代1739年に紀州徳川家からの寄進で総欅(けやき)の本堂が完成しました。正面の欄間(十六羅漢)はけやきの素木造り、豪華な装飾は必見です。
本堂には平安時代の阿弥陀如来坐像(木造)が安置されています。高さ約2.8mなので、外側からでもお姿がよく見えます。
西教寺の客殿と4つの庭園
客殿は豊臣秀吉の伏見城にあった旧殿が移築されたもので、桐に鳳凰や竹に虎などの障壁画が描かれています。
客殿周りにはそれぞれ趣が違う4つの庭園(庫裏南側・客殿西側・書院南側・書院北側)があり、いつ見ても季節を感じさせる、絵になる鑑賞庭園になっています。
一番大きい庭園(客殿西側)は、琵琶湖を形どった池に石橋が掛かり、船石が置かれ、静止画のような世界の中で、流れ出る水だけが動いています。
安土桃山時代から江戸時代にかけて作られた、なんだか見てるととっても落ち着く、そんな空間が計算されてるように作られています。
西教寺を見守る猿たち
西教寺の屋根には、食べ物を持っていたり、子供を抱いてたり、いろんなポーズのお猿さんがいます。
室町時代におきた徳政一揆は、馬借(馬を使って運搬する人)たちが、債権放棄を求めて日吉社に立てこもり、山門の僧兵たちが武力で弾圧、立てこもった400人以上が殺害されました。
西教寺の僧侶がその死骸を供養して葬ったところ、一揆の首謀者が西教寺の真盛(しんせい)上人と誤解した僧兵が西教寺に攻め入りました。
けれども境内には人影がなく、かねの音を頼りに本堂へ行くと、一匹の猿がかねをたたいていました。
日吉山王(山の神)のお使いである猿が、上人に感化されて念仏を唱えている(ように見えた?)姿に、僧兵たちは感心して立ち去ったという伝説が伝わっています。
西教寺の猿は寺を守る猿「護猿(ござる・まもりざる)」として、今も西教寺を見守っています。
楽器を持った二十五菩薩
書院の廊下に安置されている石仏25菩薩来迎像は、近江の富田民部進(とみたみんぶのしん)が、夭逝した娘が極楽浄土へ導かれていくことを願って1584年に建立したものです。
阿弥陀如来さま(ほかの石仏さまより少し大きい)が、それぞれ違う楽器を持った25菩薩+不動明王を従えています。
もともと野外にあったんですが、破損がひどくなってきたので(もう430年以上も前の石像です)、保存のため廊下に安置されました。(元の場所には、菩薩像の複製が並んでいます。)
幼い子供が淋しくないように、楽器を持った如来さまたちはとっても優しいお顔をされています。
西教寺の御朱印は?
西教寺に寄って、坂本城の御城印入手!😁
— わた🏯@御城印 (@wataoshiro) May 3, 2024
無事入手できて一安心!
ついでに御朱印も😆
金の風車見つからなすぎて、2周した💦 pic.twitter.com/19SEizWNWp
西教寺の御朱印は、大本坊の寺務所にて授けていただけます。
- 不断念仏(日時を決めて間断なく念仏を唱えること)
- 慈摂大師(じせつだいし:室町中期〜戦国時代初期に活躍した天台宗真盛派の開祖)
- 御詠歌(ごえいか:仏教の教えを和歌にしてお唱えするもの)
- 阿弥陀如来
- 梵字の地蔵菩薩
オリジナルの御朱印帳も用意されています。
西教寺の拝観料は?
西教寺の拝観料は、大人(高校生以上)500円、中学生300円、小学生200円。
受付でJAFの会員証を提示すると、会員を含む5名まで50円引きになります。
住所:滋賀県大津市坂本5-13-1
電話番号:077-578-0013
拝観時間:9:00~17:00(16:30受付終了)
西教寺にある明智一族と熙子の墓
坂本城の城主となった明智光秀は、西教寺の檀徒となって、復興に力を注ぎました。本堂横に二十五菩薩来迎群像があり、その左右に明智光秀一族の墓と、妻の熙子(ひろこ)さんのお墓があります。
熙子さんは光秀が本能寺の変を起こす6年前に、病気により坂本城で亡くなりました。
山崎の合戦のあと、明智一族と供に葬られたと言われている光秀公。逆臣の汚名を着せられながらも、自分が大切にしてきた坂本の町で、今は熙子さんと一緒に祀られています。
俳人・松尾芭蕉が、奥の細道の旅の中で熙子さんのことを詠んでいます。
「月さびよ 明智が妻の 咄せむ」
芭蕉が伊勢参りの途中、又幻という人の家で1泊した際、貧しいながらも暖かいもてなしをしてもらった時の句なんだとか。
閑静な月明かりの下ですが、明智の妻の話をしましょう、と、明智光秀の出世前、資金繰りに困っていた光秀のために自分の黒髪を切って売り、主人の面目をたてた熙子さんの話をされたそうです。
亡くなったずっと後の世界で、逸話が語られる熙子さんと、側室を持たず熙子さんを大切にした光秀公の夫婦愛…なんだかとっても素敵ですね。
西教寺の唐門に麒麟がきた?
勅使門の左、本堂から1段低い場所に、明治11年に建てられた木造平屋建ての宗祖大師殿(しゅうそだいしでん)があります。
大師殿の正面には、1917年大正時代に建てられた鎌倉時代初期の建築様式の唐門(重要文化財)があります。門の奥には琵琶湖が広がっていて、ここからの眺めは絶景です。
唐門の扉の上(虹梁上)に麒麟が彫られています。
大正時代の建築なので、ずいぶんと麒麟がくるのが遅かったんですが…もしも、本能寺の変のあと、明智光秀が生き延びていたら、今とは違った世があったのかもしれません。
「麒麟がいる」唐門から、目の前に広がる琵琶湖の景色をじっくり満喫してくださいね。
滋賀西教寺のアクセス駐車場は?
西教寺へ電車バスでの行き方
京都駅または山科駅からJR湖西線「比叡山坂本駅」で下車します。江若交通バス31系統(比叡山坂本駅行)バスで「西教寺」へ向かいます。(1時間に1本間隔です。)
また、「比叡山坂本駅」から西へ650mほど歩くと、京阪電車の「坂本比叡山口駅」があり、道を挟んだ反対側に「坂本観光案内所」があります。
そちらにレンタサイクルがあるので、自転車を借りて行くのもおすすめです。
住所:大津市坂本6-1-13
電話番号:077-578-6565
営業時間:9:00~17:00 年末年始はお休み
レンタサイクル:電動アシスト付き自転車 1時間250円 1日1,000円(税込)
※予約可
西教寺へ車で行く・駐車場は?
湖西道路「滋賀里ランプ」から北へ約10分、または「坂本北IC」より西へ約5分です。西教寺の総門横に参拝者用の無料駐車場(普通車20台ほど)があります。
西教寺の駐車場が満車の場合、西教寺前の道を南に700mほど行くと、「大宮川観光駐車場」もあります。無料なので、日吉神社や坂本町の散策に行くなら、こちらに駐車するのもおすすめです。
住所:大津市坂本5-21
※西教寺周辺には「おごと温泉」など、温泉が楽しめる観光スポットがあります。散策を楽しんだ後は、ゆっくり温泉でのんびり過ごすのもいいですね。
※情報が変更されている場合もありますので、公式サイトなどで最新情報をご確認くださいね。
さいごに
明智光秀一族の菩提寺である西教寺の見どころと御朱印、明智一族と妻のお墓、アクセス駐車場についてお伝えしました。
西教寺は古くからのお寺で見どころがたくさんあり、明智光秀一族の菩提寺でゆかりの資料も公開されています。
坂本の町中に大宮川から引き入れた水路を張り巡らせて生活用水を確保したり、身分の分け隔てなく接して坂本を統治し、領民からも慕われた明智光秀。
西教寺で、明智光秀の足跡に触れてみてくださいね!
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