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地中海クルーズ体験記③サントリーニ島イアの夕日とロードス島七不思議の巨人像伝説

クレタ島から出発して、サントリーニ島へ。夜に出港し、翌日朝にはロードス島に到着。ロードス島では朝から夕方まで停泊だったので、ゆっくり散策することができました。

ランチは外で食べてもいいんですが、船に戻って食べるなら、お金はかかりません。船の中は閑散としていましたが、人が少ないデッキでのんびり食事も、いつもと違って新鮮でした。

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青と白のサントリーニ島

断崖の上の町

ギリシャのサントリーニ島フィラ

サントリーニ島は火山が形成したカルデラ(凹み)を囲うように、本島を含めた5つの島で構成されています。本島は三日月形の島で、島の中心はフィラ北端にイアの町があります。

サントリーニと言えば、ブルードームとピンクの教会で有名な写真↑がありますが、ここはフィラから北、15分ほど離れたフィロステファニにあります。

カルデラ湾を見下ろす断崖の上、フィラの町までの行き方は3種類。ケーブルカーで上がるか、ロバタクシーに乗って行くか、自力で歩いて行くか、です。

限られた時間での観光なので、ケーブルカーを選択しました。かなり急な勾配を3分ほどで上っていきます。

上からの眺めは・・・青い海と、青い空と、白い壁のコントラストが感動的で、ほかにどんな言葉で表現したらいいのか分からないくらいの、吸い込まれそうな美しさ。

日差しが白い壁に反射して、目が痛いくらいだけど、サングラスなんてしちゃったらせっかくの風景の色がわかんなくなっちゃうから、このまま我慢、です。

狭い路地の左右に立ち並ぶ小さなお土産物屋さん、今ここで見えてる風景を切り取ったかのようなポストカードや、Tシャツ、壁掛けの飾りなどが並んでいました。

写真↓は、サントリーニ島で購入したお土産を入れてもらったビニール袋。なんかこれだけでお土産になりそうなくらい、おしゃれです。

ギリシャのサントリーニ島で購入したお土産の袋

アトランティスは実在した?

多くの考古学者や地質学者は、古代ギリシャの哲学者プラトンが記述した伝説の「アトランティス大陸」と、サントリーニ島はつながりがあると主張しています。

紀元前に起きた火山の大噴火は、島の西側の沈没の原因であり、当時世界最高水準だったミノア文明の絶滅、サントリーニ島で見つかっているアクロティーリ遺跡など、伝説との一致が証拠と考えられているようです。

火山灰に埋もれていたアクロティーリ遺跡からは、装飾品は見つかっているのに、噴火の兆候に気が付いた住民は船で避難したのか? 人間の遺体は見つかっていません。(突然の噴火なら、イタリアのポンペイ遺跡のように、遺体があるはずです。)

海に消えた伝説のアトランティス大陸、想像を書きたてるミステリーがいつか解き明かされるといいですね。

世界一美しいイアの夕日

ギリシャのサントリーニ島イアの夕日

イアの夕日は「世界一美しい」と言われていています。イアの町まではフィラからバスで30分、たくさんの人たちが夕日を見るために集まっていました。

夕日で白い壁がほのかにピンク色に染まって、幻想的。誰もが声を出せないほどの圧倒的な美しさ。 なんだか泣けてきちゃうくらい、非現実感で感無量・・・。

なんだけど、それを見るための場所とり争奪戦、ベストポジションは2~3時間くらい前から待っていないと、あっという間に人だらけになってしまいます。

陽が沈むと、ぽつぽつと家の明かりがつき始め、白い壁に淡い光が反射しています。夢か現か幻か、そんな思いを抱きながら、船に戻りました。

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城壁に囲まれたロードス島

ギリシャのロードス島の巨人像があったとされる場所

ロードス島の巨人像伝説

ロードスの中世都市」として世界遺産に登録されているロードス島、世界七不思議の1つ「ロードス島の巨人像」があったとされています。

青銅で作られた高さ34m(台座を含めると高さ50m)自由の女神像と同じくらいの大きさの太陽神ヘーリオスの彫像は、紀元前226年の地震でひざから折れて崩壊、800年以上そのまま放置されていました。

当時の建築技術を超越した巨大像の残骸は、654年トルコの商人に売却され、バラバラにされて運び出されてしまいました。現在は足の部分に鹿の像が立っています。

リンドスのアクロポリス

ギリシャのロードス島のアクロポリス

港から南へバスで1時間、リンドスの丘の上にある、アクロポリス遺跡。古代ギリシャ、ローマ帝国、聖ヨハネ騎士団、オスマン帝国と利用されてきて、様々な時代の建築物が混在しています。

1900年に遺跡が発掘され、その後この島を支配したイタリアが遺跡の修復を行った際に、歴史的検証も行われないままコンクリートで覆ったり、場所を移動させたりしたので、遺跡としての価値が失われてしまいました。現在は正しい復元を試みた作業がされているようです。

遺跡の中心には紀元前300年頃のドーリア式のアテナ神殿や柱廊が残されています。アクロポリスから、眩しいくらいのエーゲ海が眼下に広がり、石柱越しに「古代人と同じ風景を見てるんだ~」と思うと、時間の流れを一瞬で飛び越えたような錯覚に陥ります。

海の青、空の青。116mの丘の上まで歩くのは、ちょっと坂道で疲れますが、それでも、上ってよかったと思える風景です。

騎士団長の館

ギリシャのロードス島の騎士団長の館

ロードス島は古代から、いろんな勢力に攻撃され、支配者を変えてきました。1309年にこの島を占領した聖ヨハネ騎士団によって、中世ヨーロッパ風の町へ作り変えられていきました。

ぐるりと城壁に囲まれた旧市街、ゲートをくぐると細い石畳の道が交差する、中世の風景がそのまま残っています。

オスマントルコとの激しい攻防戦でついに陥落した聖ヨハネ騎士団は、マルタ島に移っていきました。

※マルタに移ったヨハネ騎士団(マルタ騎士団)の記事はこちらにあります。

ギリシャのロードス島の騎士団通り

騎士団たちの屋敷があった「騎士団通り」楕円の石が敷き詰められたこの道は、騎士団長の館まで続いています。

騎士団長の館は、団長(グランド・マスター)の住まい兼行政府として使われ、オスマン帝国支配後は監獄として使用されていました。

現在の建物は1856年の爆発事故で崩壊したものを、1937年に再建、ムッソリーニが別荘として使っていたこともあったそうです。

宮殿の内部は重厚な趣があり、緻密なモザイク画が、じゅうたんを敷き詰めてあるかのように床一面を飾っています。モザイク画を踏まないように見学しなくてはいけません。

通り沿いには、騎士団の病院跡地に「考古学博物館」があり、エーゲ海の島々から出土した美術品が展示されています。

ギリシャのロードス島の教会

港からロードス旧市街に向かう途中にある、エヴァンゲリオス教会↑

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さいごに

この日の夜は「フォーマルパーティ」、ゲストは全員着飾って、ダイニングルームの入り口で船長さんがお出迎え。このための服や靴を用意しなきゃいけなかったんですが、みなさん素敵なドレスで芸能人みたいでした。

着飾って食事なんて、結婚式くらいしか経験がなかったのでドキドキでしたが、とっても楽しい夜になりました。

翌日の朝にはクサダシ(トルコ)に到着です。

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