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サマルカンド観光①ティムール王の眠るお墓がある青の都へ!

「東方の真珠」「イスラム世界の宝石」「青の都」と呼ばれるサマルカンドは、抜けるような青い空に、青い屋根のモスクが映える、ため息ばかりの美しい都です。

12世紀ごろにジンギスカンの蒙古襲来で滅ぼされましたが、14世紀にティムール王によって蘇りました。現在ある歴史的建造物は、この時代以降のものです。

世界遺産に登録されている建築物が多い旧市街(レギスタン広場から東側)を中心に観光しましょう。

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グリ・アミール廠

サマルカンドのグリ・アミール廠

グリ・アミール廠はティムール朝建国者ティムールとその家族の霊廟です。インドのタージ・マハルなどのムガル建築の礎となった建物で、1404年に建てられました。

ティムール朝の時代は・・・
シルクロードの中継地として栄えたオアシス都市だったウズベキスタン。
13世紀に、モンゴル帝国に征服される。
14世紀に、ティムール朝が制服。
15世紀後半からティムール朝が衰退、ウズベク3ハン時代に。(ブハラ・ハン、ヒヴァ・ハン、コーカンド・ハン)
19世紀に、ロシア帝国に征服される。
1991年ソ連崩壊、独立。

ティムール朝7代君主の孫が、インド・デリーでムガル帝国を立ち上げたのが1526年。タージ・マハルはそのムガル帝国第5代皇帝が建てたものなので、グリ・アミール廠が礎となっているのかどうか・・・?は、個人的には「うーん?」というところです。

サマルカンドのグリ・アミール廠の正面

グリ・アミールは「王の墓」という意味で、ティムールと息子、孫、ティムールの師が眠っています。高さ27m、4本あったミナレットのうち、現在は2本しか立っていません。

サマルカンドのグリ・アミール廠の横のある神学校の基礎部分

もともとこの場所には、神学校とハナカ(巡礼宿)が立っていて、その隣にお墓を建てたそうです。神学校とハナカは、今は基礎部分のみが残っているだけです。

青いドームは、つるんとした玉ねぎではなく、溝がつけられていて、でこぼことした模様になっています。この表面のドームの2m下にもう1つドームがあり、暑さをしのげるようになっています。

サマルカンドのグリ・アミール廠の天井

壁は、青、白、水色のテラコッタ製タイルで幾何学模様が描かれています。室内の装飾は、金、メノウ、大理石で装飾され、金ピカです。

床には石の棺が8個並んでいます。遺骨はその下、地下室に埋葬されていますが、地下室への入り口は厳重なカギがかかっていました。

サマルカンドのグリ・アミール廠の内部
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ルハバット廠

サマルカンドのルハバット廠

グリ・アミール廠北側には、14世紀後半に建てられたルハバット廠があります。ルハバットとは「霊の住処」という意味で、イスラム教の預言者ムハンマドの頭髪が収められているそうです。

ここでおじさんに話かけられたのですが、ロシア語なのか、ウズベク語なのか、とにかくさっぱり分からず・・・分からないことを身振り手振りで伝えても、一生懸命何かを伝えようとして。

申し訳なかったのですが、足早に退散しました。ルハバット廠、中も見れたのかな?不明です。

サマルカンドのアミール・ティムール像

この辺りは、遊歩道と公園になっていて、噴水もいくつかあります。大通りの真ん中には、アミール・ティムール像が座っていらっしゃいます。

ハンサムな方ですね~。男前です。身長172㎝(当時としては長身)、足を引きずっていたということが、遺骨から確認されたそうです。

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イマーム・アリ・ブハリ廠

サマルカンドのイマーム・アリ・ブハリ廠の入り口

サマルカンド郊外にある、イスラム学者イマーム・アリ・ブハリを祀ってあるところです。1998年に新しく建て直され、イスラム信者の聖地となっています。

入り口までの通路にはバジルが植えられています。中に入ると、手入れされた芝や花の中庭があり、その先に立派な霊廟があります。

サマルカンドのイマーム・アリ・ブハリ廠

現代のウズベク建築の傑作と言われる廠の中に、大理石の棺が置かれています。遺骨は地下に埋葬されています。

サマルカンドのイマーム・アリ・ブハリ廠の周りにある回廊

回廊で囲まれ、その前では信者たちがコーランを唱えて祈る姿がありました。

何人かの若い男性が、外国人を探しては話しかけていました。自分の専攻する言葉を話す外国人を見つけては、会話練習をしているとのこと。ウズベキスタンでの通訳(ガイド)は、収入のいい仕事になるようです。

サマルカンドのイマーム・アリ・ブハリ廠の泉

境内には泉があり、ご利益があるそうで、みな水を飲んでいました。

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ウルグ・ベク天文台跡

サマルカンドのウルグ・ベク天文台跡のウルグベク像

サマルカンドの市街地から北東の、小高い丘の上にあるウルグ・ベク天文台跡は、1908年に、アマチュアの考古学者が文書をもとに、地下部分の天体観測施設(巨大六分儀)を発見しました。

サマルカンドのウルグ・ベク天文台跡の六分儀

六分儀は、半径約40m幅2mの溝が63mあり、天体の高度や角度を測るものです。当時は、高さ30mの建物に覆われていたようです。(地下部分は約11m)

ウルグ・べクはアムール・ティムールの孫で、4代君主であり、天文学者でした。ティムール朝の中で、ウルグ・ベク統治時代は戦争もなく、一番平和だったそうです。

この天文台で、ウルグ・ベクは1年が365日6時間10分8秒と計算し、これは現在のコンピューター計算で出される時間と約2秒しか違わないとのこと。

サマルカンドのウルグ・ベク天文台跡の資料館

この偉業もすごいし、君主として「男女の教育実施」を考え、神学校の1階を教室、2階を宿舎にし、通えない郊外の学生も勉強できるように、政策を行ったそうです。

けれども保守的なイスラム教徒から反感を買い、1449年に暗殺、この天文台も破壊されてしまいました。

現在、様々な功績を残したウルグ・ベクは国民的英雄として、ウズベキスタン国民から賛美されています。隣に博物館があり、当時の資料などを見ることができます。

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さいごに

ウズベキスタンの歴史は、他国に征服される時代が長かったものの、独自の文化を継承して守ってきました。

過去の歴史や伝統を大切に伝える場所へ、少しでも興味を持って訪れていただけたらと思います。

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