バラナシのガンジス川で火葬と沐浴を見るー牛と猿も歩く人生観が変わる場所

ガンジス川のメインガート

ヒンディー語で「バラーナス」、サンスクリット語で「ヴァーラーナシー」、英語表記Benaresをそのまま読んで「ベナレス」、どれが本当の名前か分からないけど・・・バラナシ、ヒンドゥー教最大の聖地です。

いつかは行きたい、そう思いながらも、治安や衛生面が不安で決心がつかなかったんですが、意を決して行ってきました。

今まで行ったどの国とも違う、衝撃的な風景が広がっていました。

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聖なるガンジス川

ガンジス川の夜

デリーから国内線で約1時間、インドの北部バラナシ(Varanasi)に到着しました。

聖なるガンジス川はヒマラヤ山脈の氷河を水源とし、ヒマラヤの渓谷を南下、いくつもの支流に分かれたり合流したりして、バラナシにたどり着きます。

「ずっと来たかった場所なんです」と言うと、「理解できないよ。なんでわざわざこんな汚い川を見に来るの?」…まぁ確かに。ヒンドゥー教信者でもない外国人が、観光地として選ぶには、あまりにも非日常的で異様な世界。

コーヒー色の川。透明感ゼロ。洗濯してる、沐浴してる、口をゆすいでるその川は、未処理の下水や生活排水がそのまま流れ込み、工場排水もそのまま流され、ごみが浮きまくり、泡立っています。

不燃物の発生するメタンガスなどの化学物質によって、水中の酸素が減少し、魚や両生類もどんどん減っています。遺灰や遺体も水質を低下させる原因になります。

目に入れば失明するかもしれない、傷があれば破傷風になるかもしれない、日本の雑菌もこの川に入れたら5秒で死滅するというくらい、命を落とす可能性もある川。

ガンジス河で沐浴する人たち

けれど、ヒンドゥー教信者が沐浴を止めないのは、そうすることで罪や穢れが流されると信じているからです。

ガンジス川の水は決して腐らない」と信じられていて、川の水をペットボトルに入れて持ち帰る人たちも見かけました。

勇気を出して、足先だけ水につけてみましたが、それ以上の勇気はありませんでした。免疫力が全くない日本人が、命かけてまで「ガンジス川でバタフライ」…は、しない方がいいと思います。

早朝から沐浴をし、祈りをささげる人々。どんなに汚れていても、そこは彼らにとっては聖なる川で、何千年も前から同じ光景が続いてきました。そして、これからもずっと。変わらない光景が続いていくのだと思います。

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ガンジス川で見える死生観

ガンジス川の火葬

死者をガンジス川のほとりで火葬し、遺灰を川に流すことが、ヒンドゥー教徒の願いであり、そうすることで肉体から魂が解放され涅槃に行けると信じられています。

近くで写真を撮ることはできないので、かなり遠くから望遠で撮った写真です↑。

火葬場の周りには、たくさんの薪が積み上げられています。薪の色が違うのは、木の種類が違うからで、お金持ちの火葬には香木(白檀などのいい香りがする木)が使われるそうです。

近くにある「死を待つ人の家」では、老いて最期を待つ人たちが集まってきて、ぼんやりと川を眺めています。観光客がふらふら近づくと、「薪代をくれ」とせがまれることもあるので気を付けてくださいね。

火葬してる横では犬がウロウロしています。生焼けの腕を引きちぎって咥えていく時もあります。魂が抜けた体は、ほかの生への糧になるのも徳の1つとなるのでしょうか。

ガンジス川の朝日

(ガンジス川の朝日)

死んだ子供や妊婦、事故死や病死は火葬されずにそのまま川に流されます。火葬するお金がない人や動物も、川に流されます。火葬や灰を川に撒く儀式は、女性は参加することはできません。

火葬する(死体を触る)のは、カースト制で下層民だそうです。不可触民とされ、一般の人たちとかかわることは禁止されています。

生活におけるすべてのことに制限があり、上の層の人たちと同じ井戸から水を飲むことすらできません。

毎日300人もの遺体が、火葬されています。聖地で火葬されるのは、ヒンドゥー教の人たちにとっては、最大の幸福であり、ガンジス川が「お墓」なんですね。

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バラナシの町を歩く

バラナシの町中の信号機

バラナシの町中にある唯一の信号機は、もう10年近く故障中だとか。車、リキシャ、自転車、人が無秩序に横断し、その中に牛もたたずんでいます。

そんな風景にΣ(゚Д゚)びっくりですが、おののいていたら先へは進めません。細い通路を歩いていくと、必ず座り込んでる牛がいます。踏まないように注意しながら避けて歩いていきます。

バラナシの店の中で座り込む牛

店の中に座り込んでいる牛を発見! 牛は「神聖な動物」「神様」なので、追い出したりできないそうです。我が物顔で街を歩く牛たちの多さにもびっくりです。

「でも、こんなに牛が多かったら、いくら注意しても車でぶつかったりしちゃうんじゃないの?」と聞いてみました。「そりゃそんなこともあるよ。でも大丈夫。牛は神様だから、死なない」・・・なるほど。

牛もいるけど、猿もいます。ゴミをあさってる豚もいます。生活圏内で、ふつーに動物がいる風景。そんな動物たちのために、人々は食べ残しの食糧などは道路に捨てます。そしてゴミと牛のふんにまみれた道路を歩く人間たち。

バラナシの牛が歩く道

最近では、牛のふんを乾燥させて、火葬の燃料にしたり壁材にしたり、ふんの燃焼後の灰を、皮膚病の薬として使う、などのリサイクルがなされているとか。

「もうかるよ~、元手タダだし。道路に落ちてるから」と板にふんを載せて歩く少年。

なんかもう、見るものすべてが、今までの常識とか秩序とか規則とかに、全くあてはまらなくて、混乱というか混沌というか、生きて死ぬことが凝縮されて横たわっている町。

「バラナシに行くと人生観が変わるよ」そう言われてた意味が、納得できました。

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さいごに

牛や猿、犬、ブタが、普通に当たり前のように歩いてる町。砂ホコリの舞う中を、走り抜けるリキシャと、外で寝ている人たち。

現実とは思えない圧倒された日常が、毎日続く聖地バラナシ。日本での現実が、夢のように感じてしまう場所です。

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