ペトラは紀元前6世紀頃、ペトラ周辺を拠点としていた遊牧民ナバテア人が作った都市の遺跡です。スパイスや絹、香料の交易の拠点として繁栄しました。
ダムや給水システムを作った跡がみられ、治水整備された都市を作り上げていたようです。
まだ80%以上が未発掘という、謎の多いペトラ遺跡を歩いてみましょう。
(上の写真は各国の言葉に翻訳されたペトラガイドブック(売り物)の上でくつろぐ猫)
忘れられた都ペトラ
(↑ナバテア人兵士?お仕事中)
ペトラはナバテア人によって整備され繁栄していましたが、106年、ローマ帝国に併合され、ローマ式の建築物(円形劇場や神殿)が作られるようになります。
363年に大地震、663年にイスラム帝国に征服され、ペトラはどんどん衰退していきました。
そして749年の大地震で大きな被害が出ると、ナバテア人はペトラを放棄、砂漠にすむベドウィン族だけがペトラに残って、ひっそりと暮らしていました。
1812年にスイスの探検家が遺跡を発見、それから発掘が行われていますが、まだ80%以上が埋もれたままになっています。1985年に世界遺産に登録されました。
「ツアーではなく個人でペトラ遺跡に入るには、正式な遺跡ガイドを予約しないと中に入れない」そうで、ガイドの手配をお願いしました。(初日のみ、エド・ディルの登り口までの案内です。2日目以降はフリーです。)
2日券を購入したので、入場券には名前(ファーストネーム)が印字されていました。けれど、入場の際に日にちや名前までしっかりチェックされることはありませんでした。(チェックされることもあるようです。)
結果的には、いろんな話を聞くことができて(英語ガイドだったので全部は理解はできなかったけれど)良かったです。遺跡内レストランの予約確認もしてくれました。
入場券にはゲートからシークの入り口まで約800m、馬に乗る代金も含まれているという情報もありますが、入場券には記載がなく、チップでもめることが多いということなので、乗りませんでした。
ゲートから歩いて40分
遺跡のゲートから日陰のない道を15分ほど歩きます。1Kmほど歩いた左側に、紀元前1世紀ごろに建てられた「オベリスクの墓」があります。
上部には4本のオベリスクがあり、5つのお墓が収められています。下部の葬祭殿には3つのベンチがあり、死者を祝う儀式用の部屋になっています。
右側には「ジン(精霊)の岩」という四角いモニュメントが並んでいます。未完成の墓なのか、儀式のためのものなのか、詳細は分かっていません。
シークと言われる岩の裂け目に到着。入り口にはダムがあり、ナバテア人は水がペトラの町を破壊しないようにトンネルを掘り、別の谷へ迂回させていたようです。
ペトラが衰退後、ダムが崩壊し、洪水がペトラ中心部まで流れ込んで、町を破壊しました。
現在はヨルダン政府がダムを再建し、洪水の心配はありません。そこからは岩の間の細道を歩いていきます。
※2018年11月に土石流が発生し、水が遺跡に流れ込みました。
裂け目の通路には、両端に高さ80mの絶壁がそそり立ち、3~4m幅の細い通路を1.2Kmほど歩きます。
道の途中には治水システム跡(写真右:右側に水が流れる溝があり、ニッチ(飾り枠)があります。)や、ラクダをひく男性とラクダの像の足の部分(↑写真左)も見えます。
シークに沿っていくつかの地下室が発見されていますが、何のためなのかはわかっていません。
ゲートからずっとなだらかな下り坂なのは、水路を通って水が町の中心部まで届くように設計したためだそうです。
所々、石畳の跡もあり、馬車が通るたびにヒズメの音がカツカツと響いてきます。ゲートから歩いて40分、岩の隙間から明るい光が差し込んで、エル・ハズネがちらっと見えた瞬間の、息が止まるような感激はもう、「やっとこれた!」という思いでいっぱい。
「インディ・ジョーンズ 最後の聖戦」で、イエス・キリストの聖杯が安置されていた遺跡として有名になった、エル・ハズネ。映画を見た当時(1989年)は、巨大セットだと信じていました。
それが実在すると知って、「いつか行きたい!」と思っていた憧れの場所。シークを抜けた先は広く開けていて、その正面にエル・ハズネがどーんとそびえています。その大きさにただただ呆然と立ち尽くすのみでした。
ペトラのシンボル、エル・ハズネ
ガイドさんの説明によると、幅30m、高さ43mの一枚岩を上って、上からノミとハンマーだけで掘って作り上げたとのこと。その証拠に、建物の左右に、掘るときの足場が掘られています。
これだけの大きさのものを上から掘るなんて、かなり正確な設計図がないと難しいと思うのですが、紀元前100年から200年頃に作られた、なんて驚きです。柱や屋根には細かい彫刻が残っています。
上段真ん中の柱の間には、死と再生の女神イシス像があったようですが、その姿はありません。像には金が貼ってあったそうで、銃弾の跡で穴だらけ、金をはがすために銃で撃った痕が残っています。
その上の壺の中に隠されている?財宝を狙って撃ち込まれた跡も残っています。(実際、財宝は隠されてなかったようです。)
エル・ハズネは宝物殿という意味ですが、内部には何も残っていなかったため、何のために作られたのかはわかっていませんでした。
中に入ることはできないので、設けられたフェンスから地下を覗き込みます。近年、地下から成人男性の骨が見つかったそうで、王家の墳墓として作られたのでは?と言われています。
日の当たる角度によって、バラ色に色を変えるエル・ハズネ。1日の中でも朝日が建物全体を照らす時間が一番美しいそうです。
2日目は早めにホテルを出て、エル・ハズネの前でスタンバイ。光の中でピンクに染まるエル・ハズネは、疲れも吹っ飛ぶ美しさです。
さいごに
ゲートからエルハズネまでは歩いて40分、 行きはなだらかな下り坂で歩きやすいのですが、帰りはずっとなだらかな上り坂・・・遺跡内を歩き回った後の帰り道は、泣きたくなるくらいきつかったです。
ただ黙々と無言で歩きました。その日の夜に「ペトラ・バイ・ナイト」(キャンドルのともされたエルハズネの前で行われるショーイベント)があったのですが、さすがに1日2往復はムリでした。
ペトラには足腰丈夫なうちに見に行ってくださいね。
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