【ペトラ遺跡】ライオン寺院と柱廊(コロネード)通りの北側と南側を歩く

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エド・ディルからレストランまで、ロバで登ってきた道を歩いて戻ります。 ガードレールも何もない、落ちたら命の保証はないような崖もある細道を下っていきます。

こうしてみると、日本の観光地って、危険場所には柵があったり、入れないようになってたり・・・至れり尽くせり感がありますね。

ペトラは道なき道も入っていけるけど、戻れなくなっても知らないよ、という自己責任で歩く遺跡です。

ライオン・トリクリニウム

戻る途中右側にあるライオン・トリクリニウムを探します。(脇道に入った場所にあります。)

岩に阻まれて、正面まで行くには背丈ほどの岩を上らなくてはいけないのですが、遠目でもなんとかライオン像を見ることができます。

トリクリニウムとは、古代ローマのダイニングルームのことで、3つの長いすで低いテーブルを囲んでいる部屋です。お葬式の儀式を行う場所と考えられていて、扉の両側に互いに向き合ってライオン像が掘られています。

ライオンの扉の上部両端には、死の女神メデューサが掘られています。頭髪が毒蛇、見たものを石に変えるという、ギリシャ神話の女神です。

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柱廊通り北側と女の子

クラウンプラザホテル経営のレストラン「Basin」まで戻り、そこから1つ上のルートで「翼をもったライオンの寺院」に向かいます。(柱廊通りを挟んだ北側)

少し上った丘の上にあるのですが、歩いているときは見つけられずに、引き返そうかと思ったら、10歳くらいの女の子が歩いてきました。

その子に地図を見せて、「ここを探してるの」と伝えたら、英語で「この上には何もない」と答え、「マネー(お金)」と右手の指をこすり合わせるジェスチャーをしながら言いました。

1ドルと飴を渡したら、「シスター(妹の分も)」とさらに手を出しました。
彼女と別れて、来た道を戻る途中で、ベドウィンのお兄さんに確認すると、「その道であってるよ」

彼女と会った場所のもう少し先に、目的地はありました。そうは思いたくないけど、なんだか・・・お金とられただけ? 子供だからお金の無心ができるのかなぁ? ちょっとさみしい気もしました。

ライオン寺院とピザンチン教会

ライオンの寺院は、地震で崩壊した状態ですが、たくさんの柱の下部分が残っていて、9.5mの大きな柱もあったそうです。出入り口の向かい側には1.3mの高さの祭壇台?があります。

ここで見つかった、翼をもつライオン像は、博物館に保存されています。ナバテア人の使っていたコイン、水道管なども展示されているのですが、その時は博物館に目が行かず・・・見そびれてしまいました。今思えば残念でなりません。

その先には「ピザンチン教会」があります。1990年に発見されたピザンチン時代の教会は、白いテントで覆われています。

5世紀末に建てられ、6世紀半ばに火災と地震で崩壊したと考えられているこの教会には、モザイクの床が残されています。通路には様々な動物、鳥、船、人間の姿や幾何学的な模様、中央には四季、海、地球などが描かれています。

教会の上には、「青い教会」があり、エジプトの花崗岩の柱からその名がつきました。薄いブルーの柱が4本立っていて、セピア色の風景の中で、ここだけが色付きの景色に見えます。

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柱廊通り南側の大寺院

ペトラ中心の柱廊通りに戻ります。幅6mの道にたくさんの柱が残っていますが、洪水や地震によって崩壊しています。

かつては左右1列に並んだ柱に囲まれた、全長225mの石畳の道だったようです。通りの突き当りにはアーチを持つ凱旋門がありました。今はアーチの部分はなくなっています。

その途中には「大寺院」があります。寺院と名がついていますが、実際は寺院だったのか、政治的な会合の場所だったのか、はっきりしていません。

大寺院の中には、小さな劇場のような、半円の空間と、そこを見下ろす階段状の席があります。ここで話し合いが行われたのでは?と考える考古学者も多いそうです。

階段を上ると、大きな広間があり、更に奥に階段があり、祭壇?の広間があります。最近の掘削では、大寺院の横には庭園とプールが発見されたそうです。

カスール・アル・ビント

凱旋門を抜けた奥にある「カスール・アル・ビント」は、ペトラで最大のファサードを持つ、ナバテア人の神を祭った神殿です。

高さは23m、大理石の床や席があり、レリーフパネルで装飾された豪華な神殿だったようです。紀元前1世紀の後半に建てられ、3世紀に意図的な火災と、地震により破壊されています。(意図的な火災?そんなことまで調査でわかるのですね・・・)

今にも崩れ落ちそうなアーチです。神殿の中ではなく、外で儀式が行われていた後もあるそうです。

2018年7月に「世界ふしぎ発見!」で「砂漠に消えた都市 ペトラの真実」が放送されました。ペトラで発見された、炭化したパピルス150本の解読と調査を25年かけてされたそうです。

そこでは6世紀にペトラが滅びるほどの大地震が起こったという記述はなく、ローマ帝国に支配されても、キリスト教が普及しても、人々はペトラで生活をしていた、という事実が記されていたそうです。

けれども、7世紀ごろからイスラム帝国の支配下に置かれ、それまでペトラで信仰されてきた宗教とイスラム教が合わないこと、ペトラの産業が衰退したことなどが理由で、人々が去っていったのでは?という内容でした。

さいごに

まだまだ謎に包まれた幻の都ペトラ。 現代では、どんなに調査しても推測しかできないけれど。

この先、どんな秘密が明かされていくのか、楽しみですね。

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