ウズベキスタンは親日国と言われています。実際、ウズベキスタンに行ってみたら、ものすごく実感しました。
「初めて日本人と話をしたわ!」と喜んでくれたおばちゃん、「うちに遊びに来て」と誘ってくれたおじちゃん、「一緒に写真を撮ってください!」とお願いに来た若いお姉さん・・・。
なんで親日家が多いの?と聞いてみました。ウズベキスタンではみんなが知ってる日本との接点を、教えてもらいました。
ウズベキスタンが親日の理由は?
ウズベキスタンは1991年に旧ソ連より独立、建国30年未満の新しい国です。ウズベク人、ロシア人、タジク人、カザフ人、ペルシャ人などなどの、多民族国家です。
独立当初、ソ連(ロシア)はウズベキスタンの独立を認めていませんでした。独立当初は何もない、0からの出発。石油・石炭はあったけれど、綿花栽培で生計を立てている人が多く、ソ連からの援助がなければ、物資がない状態。
最初にウズベキスタンを独立国として認め、援助したのがトルコ、そして2番目が日本です。
1992年、日本はウズベキスタンと国交を樹立し、離乳食やおむつなどの製品を送って援助しました。ウズベク人はそのことを学校で習うそうで、親日家が多いです。
旅行中、日本人だとわかると、「うちに来て下さい、美味しいプロフをごちそうします。たき木がなくなったら、私の心を入れて作ります。だからぜひ、うちに来てください。」と言ってくれる人たちが何人もいたこと。
日本に来ている外国人観光客にそんなこと、言えますか?
日本人にとって、ウズベキスタンという国がマイナーであることに対して、ウズベク人にとって日本は、大変な時に助けてくれた恩人のように思われている、この温度差が奇妙でした。
でも、私たちの知らないところで、国がそういうことをしていてくれたので、歓迎してもらえるんですよね。日本の政府を見直しました。(当時の内閣総理大臣は、宮沢喜一氏)
タシケントにある日本人墓地
ウズベキスタンと日本の最初の接点は、第2次世界大戦後、旧ソ連軍によるシベリア拘留で、日本軍人が強制労働させられたことです。
ウズベキスタンでも、日本軍人はダムや施設(ナヴォイ劇場)の建設に従事しました。
タシケントにある日本人墓地は、公営墓地の一角にあります。名前が分かる人は、石碑に名前と出身地が刻印され、並んでいます。
桜の木が植えられ、春になると満開の桜がみられるとのこと。遠い地で眠る日本人の兵士たちの、せめてもの慰めになっているのでしょう。
隣には同じく敗戦国である、ドイツ人兵士のお墓もありました。帰国できずに亡くなった方たちの無念も感じますが、地元の方たちのボランティアでお墓が維持されていることに、今は感謝して眠っておられると信じています。
ナヴォイ劇場
ナヴォイ劇場は、オペラとバレエの劇場です。重厚で、繊細な彫刻で飾られた建物は、捕虜で強制労働だとしても、ちゃんとしたものを作ろうという日本人の精神が反映されています。
1966年のタシケントの大地震では、多くの建物が倒壊する中、ナヴォイ劇場は無傷で、市民の避難場所になったそうです。
1996年に、カリモフ大統領がナヴォイ劇場建設にかかわった日本人を称えるプレートを設置するよう指示しました。プレートには「捕虜」の言葉はなく、
「 1945年から1946年にかけて極東から強制移送された数百名の日本国民が、このアリシェル・ナヴォイ―名称劇場の建設に参加し、その完成に貢献した。」と書かれています。
ウズベク人が知ってる日本人
「一番有名なのは、やまもとかんすけ」と聞いたときに、武田軍の軍師・山本勘助?と思ったけれど、なんで武士じゃなくて、軍師が有名なんでしょう???
「次に、おしん」これはどこの国に行っても、言われるんですよね。1983年(昭和58年)のNHKドラマですが、68か国以上の国で放送された、日本の代表作のようなドラマです。戦前・戦後の混乱期を、ただひたすらに耐えて頑張る姿が、共感を呼んだのでしょうね。
「あとは、サムライ」それは個人名じゃなくて「その時代の武士」なんですよ~。刀を差し、ちょんまげで切腹、なんていう姿を見たら、異様な世界に見えるんでしょうね・・・。
間違いだらけのガイドブック
「ウズベキスタンの料理には、日本人が消化酵素を持たない綿花油を使用しているので、食事の後は熱いお茶を飲めってガイドブックに書いてあったんですけど」と大真面目に伝えたら、
「それ、いつの時代ですか? 田舎に行けば、綿花油使ってるお家もあるかもしれないけど、レストランじゃ普通にオリーブオイル使ってますよ!」
「車での移動中は、トイレがないって書いてあったから「青空トイレ」を覚悟して来たんです」と言えば、「そんなことあるわけないじゃないですか? いったいどんなガイドブック見てきたんですか?」
ウズベキスタンのガイドブックって、有名なあのシリーズしか見つけられなかったんですけど・・・「あぁ、あの「地球の迷い方」の本ですね。あれは何十年も前の情報を、更新されないまま出版されてるんですよ。」
「橋や公共施設は写真撮っちゃダメってあるけど、撮っちゃダメなとこもどんどん少なくなってきてるし、あの本読んだら、ウズベキスタンに来たくなくなっちゃいますよね。」
「百聞は一見にしかず」じゃないけど、ガイドブックを鵜呑みにしないで、ぜひ自分の目で確認してみてくださいね。
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さいごに
日本人墓地ではなんとなくカメラを向けるのが憚られて、写真を撮ることができませんでした。整然と並んだ石碑と、手入れが行き届いている墓地で手を合わせると…いろんな思いが浮かんできます。
でも、きっと。彼らの無念はすでに消えて、今はただ、眠ってる、そんな気がします。
日本がウズベキスタンを援助したこと、ウズベキスタンが日本人に対してしてくれていること。この絆がずっと続いていくといいなと思っています。
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